「生きる」と「生活する」はどう違うか

2018/03/01

平成29年度「教育寮みしま」卒寮式 式辞 

 卒寮される14名のみなさん、卒寮おめでとうございます。6年間の寮生活(3年間の寮生活)お疲れ様でした。川部寮監長を中心に6名の寮監と寮母の刎本さんが皆さんをお世話してきました。寮生活には楽しいことも、不愉快なこともあったと思います。しかし、不自由な生活に耐え、本日、立派に卒寮という日を迎えることができたことを心から喜ばしく思っています。「教育寮みしま」では「絆」「友」「陽(ひなた)」という学年を越えた3つの縦割りのグループを作り、高校2年生のグループ長を中心に寮生活を送りました。「自主自律」こそ「教育寮みしま」が目指す精神です。

 皆さんはこの「教育寮みしま」での6年間は「生活」だったのでしょうか?それとも「生きる」だったのでしょうか?「生活する」と「生きる」は違います。私は「生きる」というのは、「ある一つの目的に向かって一日一日を積み重ねていくこと」だと考えています。もちろん普通の意味の「生活」が「生きる」ことを支えていることは言うまでもありません。しかし、目的のない生活は、与えられた命の時間をただやり過ごしているだけにすぎず、決して「生きる」ことと同じではないと私は考えています。

 これから皆さんは大学に入学します。そして、その後には社会人としての生活が待っています。大学生や社会人になると日常のあれやこれやに翻弄され、毎日「生活」するだけで精一杯ということになりかねません。「生活」は「生きる」うえで必要不可欠な営みですが、「生活」+α=「生きる」ということになります。「生きる」ためには生活の目標が必要です。

 目標のある生活が本当の意味で「生きる」ということに繋がっていきます。どうか「教育寮みしま」と卒寮して、大学生活を「生きて」欲しいと思います。社会人の生活を「生きて」欲しいと思います。そのためには絶えず自分が目指すべき「目標」を探し求めていなければいけませんよ。

 保護者の皆さんに置かれましては、13歳のわが子を寮に預けたわけですから、当初は大変不安をお感じになっていたはずです。しかし「可愛い子には旅をさせよ」という言葉がございます。家を離れ、寮の仲間たちと一緒に生活することは、かけがえのない力をお子様に与えてくれたはずです。彼らがここで手に入れたかけがえのない体験が、本当の意味で花開くのは、彼らが社会にでて、苦しみに直面するときだと思います。うまくいかなくなった時にこそ、寮での経験が生きてくるはずです。親も教員も在寮生も、14名の生徒の門出を祝って送りだしてやろうではありませんか?

 卒寮生のみなさん、いつか、あなた達がここ「教育寮みしま」に再び戻ってきて、元気な姿を見せてくれる日を楽しみに待っています。あなた達の人生に幸多からんことを祈り、卒寮式の式辞といたします。

平成30年3月1日
岡山高等学校 校長 鷹家秀史